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やさしい甘さが魅力的! 杏仁豆腐のはじまりは薬だった!

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杏仁




こんにちは
中国のデザートと言えば杏仁豆腐です。プルプル食感で優しい甘さがたまりませんよね。
ところで、杏仁豆腐はどのようにして誕生したのでしょうか。そこで今日は『杏仁豆腐』についてお話をしたいと思います。


杏仁豆腐




杏仁豆腐

 杏仁豆腐は、アンズの種の中にある白い仁をすりつぶして粉にしたものから作られています。もともと「杏仁」は漢方薬に使われる材料で、漢方では「キョウニン」と呼ばれています。杏仁は2種類存在し、苦みがあって薬効成分が強い中国北部の「北杏」と、中国南部で栽培される甘い「南杏」があります。杏仁豆腐には主に南杏を使っています。



杏仁豆腐の歴史

 杏仁豆腐の歴史は、漢方で使われる杏仁の話が始まりになります。
三国時代(220年~280年)、呉の国に董奉(とうほう)という名医がいました。山の中に住み、耕作はせず、多くの患者を診療していました。あるときどうしても治療費を受け取ってくださいと言われましたが、受け取らずにこう言ったそうです。


 「治ったら杏の木を植えてください」


 患者は、重病患者が治ると杏子の樹を5株を、病状が軽い場合は1株植えてもらいました。数年が過ぎる頃には、一面は盛大な杏の林となっていました。


杏の実


 董奉はこの杏の林に、「杏が欲しい人がいたら、一皿分の穀物を倉庫に置けば、同じだけの杏を持っていって構いません」という看板を立て、集まった穀物を貧しい人たちや旅人に分け与えたそうです。


 しかし、当然のことながら悪いことを考える者はでてきます。
ある日、盗人が杏を盗んでしまったのです。董奉がこれを見つけて追いかけましたが逃げられてしまいました。


 ところがこの盗人は逃走中に運悪く虎と出くわしてしまうしまったのです。林から現れた虎は、盗人の家まで追いかけてその盗人を噛み殺したのです。盗人の家族は杏を盗んだためだと知り、杏を董奉に返して、心から過ちを認めると、董奉は死者を生き返らせたのです。
やがて、名利を重んぜず人々のために善行を尽くした彼の医徳から、「杏林(きょうりん)」という良医の代名詞が生まれました。



杏仁豆腐の誕生

 杏仁豆腐の誕生も、董奉が関わってきます。
先ほどもお伝えしましたが杏の種は「杏仁(キョウニン)」と呼ばれて、「肺と腸を潤す働きがある」とされて咳止めや喘息に使われていました。


ところが、杏仁は苦味が強く、なかなか人々の口に合いませんでした。


 そこで、粉末状にした杏仁に甘味や牛乳を加えて食べやすくすることを提案したのです。この加工が「杏仁豆腐」のはじまりです。


 やがて薬膳デザートとして中国全土に広まり、清朝の時代(1644~1912年)には、高級材料や三日三晩続く豪華な宴会で知られる宮廷料理の粋を集めた「満漢全席(まんかんぜんせき)」のデザートとして、清朝の皇帝に供されるようになったのです。


 杏仁豆腐は「董奉の杏林の杏種で生み出した」と言われています。


 杏仁が日本に渡ってきたのは室町時代です。貞治六年(1367年)に眼阿という僧侶が書いた「新札往来」上巻には、「杏仁」が茶請けとして使われるのが当時の流儀と書かれています。杏仁豆腐としては大正時代には知られていたという記録が残っています。1970年代(昭和40年代)には、デザートとしての杏仁豆腐が日本中に広まりました。



杏仁豆腐の効能

 杏の種の中の核である「杏仁(キョウニン)」は、のど、肺と腸を潤す働きがあるとされています。せき止め、喘息、便秘、慢性病の発病予防、肌の美容に効果があります。


 ただし、これは杏仁から作られている杏仁豆腐だけにある効能です。安く売られている杏仁豆腐は、杏仁の代用のアーモンドパウダーで作られています。当然ですが、アーモンドが原材料の杏仁豆腐にはこのような効能はありませんので注意が必要です。香りが弱いものはアーモンドパウダーが使われている可能だ高いです。



今日の最後に

 杏仁豆腐は名医によって生まれた食品です。この話は少し意外でした。


 味は優しい甘さなので夏のデザートにピッタリです。咳止めの他に腸にも良いので、腸活に召し上がってみてはいかがでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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